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芦屋ポタ 浪懸遊歩道(復旧)・狩尾岬・山鹿貝塚

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  午後から 気温上昇との予報 風向きは 北西 とりあえず  岡垣町自転車道 で 海辺まで 休憩スポット・ 北斗七星 では 幼児向けレンタサイクルも 用意されている 日曜日 パパさんたち ここが見せ場 ❣ 追い風を受けながら  響灘自転車道 を  芦屋 に向かうことにした  やはり キモチいい ❣ YouTube動画で 誰かが「 一生に一度は走りたい道・・・ 」云々 と紹介しておられた ちょうど よさげなところに 四阿がある ここで ひといき 高めの柵の右側は 航空自衛隊・ 芦屋基地   柵の真上をジェット機が飛び去る 自転車道の塗装色が ここだけ変わる (以前 柵の辺りには コンクリート製の枠で トンネル状に覆われていた) いつもは 芦屋の肉屋さんで 揚げたてのコロッケを買って  海を眺めながら 頬張るのだが  なんと日曜日・休業 ガーン! 豪雨被害でながらく通行止めとなっていた  浪懸遊歩道 ・自転車道が復旧・開通していた こうした姿を眺めていると  ああ 春なんだ~!!  と思ってしまう ついでに  狩尾岬 巡り  門司・北九州自転車道 を 走ってみよう 海中に立つ 石鳥居は  狩尾神社 の  一の鳥居 右手山中に かつて狩尾神社があり 漁民の信仰を集めていたそうだが 火災のため今では基礎が残るのみとなっている  ご神体は 現在 別のところに祀られてあるのだとか 千畳敷  と呼ばれる岩礁が ひろがる 狩尾岬   ここから山道を登ると 狩尾神社跡に行ける 「とと市場」  で ひと休み ここから 引き返すことにした 普段通らない道を辿ってみたところ 前々から気になっていた  山鹿貝塚 に出会えた ここは 縄文時代 約 6000年 に亘って 縄文人が生活していた とかいう場所で 何度かの発掘調査の結果 縄文人・人骨 装飾品などが発見されている とくに  シャーマン 兼 族長 だったと思われる  女性 は 19個の 貝殻腕輪  サメ歯・ イヤリング   鹿角 などの 副葬品で飾られ そして この  緑色大珠 を 身に着けていたという 民家の前を通り抜けると 広場の奥に  いつも遠目に眺めてはいた  山鹿貝塚 の案内板があった なんか むっちゃ得したような 気分で 大通りに出た  「芦屋歴史の里」 前には  映画 『トラ・トラ・トラ』の芦屋ロケの思い出...

「ヒネモス」(ヒネモス種・ひねもす属・ヒネモス科)

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  正月明けから読み始めた『日本大歳時記・新年』を 立春を過ぎてから ようやく読み終え  『日本大歳時記・春』 をひも解き始めた 『春』の巻は ページを繰るごと 春らしさを伝える 季語の数々に こころが 浮き立ってくる 関西暮らしの頃にも 多少の影響はあったものの 九州・福岡とは レベルの違うのが  黄砂 俳句の世界では 「 黄沙 」 と表記されているようだ また 世にも奇妙な漢字を 好んで用いるヘンなところがある 雨かんむりに 貍(たぬき) と書いて  「霾」 の表記で 「つちふる」と読ませる 意味は 読みのとおり 春疾風に乗って空の青を曇らせる 黄沙の到来 黄沙だけなら まだサッと拭き取ればイイのだが  これに春雨となると 洗車は必須となる 嗚呼! 明日夕刻からは 少雨予報 ブロンプトン・ぽた吉を取り出し チェーンワックスを施し タイヤ圧も110psiにして 久しぶりの ポタに出かけた 『桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿』  という 些かキツめのコトバがあるが 脳裏に浮かび上がる  古梅 は 苔むした風情の幹と 太めの枝が断ち切られ アクロバティックな姿態に 梅の花が 点々と浮かび上がる  光琳 ・ 紅白梅図屏風 の イメージではなかろうか 今日 出くわした  古白梅 は 真正面から そのイメージを打ち消すような ダイナミックは姿だった 代々 手入れを行っておられたものなのだろうが いつの頃からか 手つかず放置となったのだろう 古木に満開 梅花の風情 というより 咲き誇る桜 を連想させるものだった 汐入川 堤防の 岡垣町自転車道 からは いよいよ鮮やかさを増した 緑の 麦畑 が どこまでも広がっていた 波津海岸 休憩スポットから 浜を眺めると  夏場 サーフボードを使ったブランコの 純白の枠組みだけが 幾つも並んでいた 波津漁港 方面を眺めると さほどの違いはないものの どことなく 春の海の風情に 転じていた 岬を巡り 外灘を眺めると つい先ごろまでの 些か黒みがかった海色から 明るさをみせる色合いに変わってきている しばらく進むと 真っ黒の丸石が敷き詰められた浜に 寄せる波・退く波に 翻弄された石群が 打楽器連弾音もどきに 硬質音を響きわたらせるところがある 自転車移動ならではの たのしみだ 久しぶりのポタ 脚筋の衰えを思い知らされた いつもの休憩スポットで ...

バレンタイン猪口(チョコ) & 「しらんけど」

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  誰が 広めたのか  バレンタイン チョコ 400年以上の歴史をもつ  上野 (あがの) 焼  の家元たちは オサレな ギフトを 提案 提供される いわく  バレンタイン猪口 (チョコ) あまり お酒を 口にすることがないのだが テレビで  チョコ にかけた紹介が あったもんで どんなんかなあ〜? と  好奇幸齢者  おじんは 出掛けた ハート ❤ 型の  猪口 があった どこから飲むのが正解なのか 暫し 考えさせられた 先っちよから 啜るのは おっさんには 似合わなそうだし といって  半円結合部位の窪みに 舌先を沿わせるのも 些か別のコトを 連想しはせぬか? 横からの場合 尖ったのを 左右どちら向きに すべきか? などなど 絶対疑問に 直面 これら疑問を 受付の 若いレディースに 伺うワケにもいかず ま ちょこが 必要になったら ちょこっと 100均行こ! と引き上げた次第 今日 寒風吹きすさぶなか 車中で謡の おさらいをした おましたがなあ! 関西人の口ぐせ  「 しらんけど・・・ 」の いにしえバージョン 「 井筒 」 シテ(女性)の語り にあった! 女性は  紀有常の息女 の亡霊   そう あの 業平 と「 筒井筒・・・ 」の歌で 契りを交わした主人公 旅僧に請われ  在原寺 の所縁を 語りはじめるとき  「在原の業平は 世に名を留めし人なり さればその跡のしるしも これなる塚の陰やらん わらはも 委しくは知らず 候へども 花水を手向け おん跡を弔いまいらせ候 ・・・」 しらんけど と前置きした割に ムッチャ詳しく あれやこれやと語りはじめる もう かような昔から 関西のおばあちゃんは  「しらんけど」 を 駆使していたのだ しらんけど・・・