一歩 2歩 散歩 @岡垣町 吉木・岡城址・熊野神社

『背高頭低』(背ばかり高くなっても アタマのほうは低いまま)と皮肉屋の教師が呟いていたことが思い出される
ほのかに春を感じていたところに 西高東低 強い寒気団が列島を覆う形となり ゾクッとする寒さのなか すこし歩いてみたくなった
鏝絵が よき時代の佇まいを今に伝える 吉木の道筋は 両脇に清らな流れを備え 引き締まった空気感を醸し出す
この鏝絵は なにを伝えようとしていたのだろうか

狭い範囲にも拘わらず 寺院も多く また各所に 西国八十八箇所…云々のお堂があり それぞれに 手入れが行き届いている

岡城址を 境内に持つ 隆守院 もそのひとつ
戦国の時代 大友勢との戦いに敗れ 自刃して果てた 岡城・最後の城主・麻生隆守を祀る
ノー天気な私は 自分の名前・隆を守ってくれると勝手に読んでは 手をあわせている

東側登り口脇に植えられた 梅の硬い蕾の先が ほんのり白くなっていた


石段を登ったところには 二つの巨石に 何やら戒名らしきものが刻まれてあり また 近くには 五輪塔や石仏が配されてあり


登り道斜面にも いくつもの石仏が並び


三の丸から 二の丸へとつながる所にも 石仏


さらに 二の丸跡の開けたところには 如来像を取り巻くように 石仏群が設置されてあることから


岡城址そのものが 戦で命を落とした人々を供養するための場 となっているように思われる

本丸跡への 階段

さほどの標高差は ないものの やはり本丸跡からは 吉木・一帯を見渡すことができる
向こうの山には わが家の近く 配水タンクがみえる


ちゃんと 三角点もある

さて ここから 南登り口方面に 下る


城のあったころ どのような道姿だったのか 想像もつかぬが この斜面はキツかっただろう

三の丸方面に続く道
そして
東側登り口・隆守院へと下る道

低い尾根筋を下っていくと 南西登り口


幹線道路が走る向こうには 門田溜池がある


先ごろから試している「なんば(難場)歩き」のせいか 結構の階段・急坂を歩いてきたのに まだ歩けそうなので 熊野神社の奥山に登り ぐるっと回り込んで 参詣してみよう


奥山への急坂入り口には 太いロープが張ってあり それに伝いながら登った

しばらく歩くと 本殿が見えてきた


摂社なのだろう


飛梅 と書かれてあるのは 太宰府天満宮所縁の 梅なのか?

手を合わせ
石段を下った

お母さんが 池に泳ぐ鯉を指しながら バギーの乳児に 何かを話しておられた
いいなあ

庚申信仰

庚申の夜 人々体内の三尸(さんし)の虫が抜け出し 天帝に それぞれの日頃の罪を告げに行き 天帝は 罪の軽重によって人を病気にしたり 早や死にさせたりする と言われ
長生きするには 徹夜して身を慎まねばならぬとされ
人々は講集団をつくり 庚申の夜に集まり ともに過ごした とのこと
「罪」など 犯す・犯したはずもない と 自信をもって言える人は いらっしゃるのだろうか?

吉木小学校校庭

汐入川沿いには 岡垣町自転車道があり 常々お世話になっている
しばらく歩き 新興住宅地 吉木東地区の高台を巡ってみた
岡城址がみえる

迂闊にも これまで 気付かなかったが こんな溜池があった

無住と思しきお宅の庭先に 菊が満開
余計に無常を感じてしまう

スイセンが スッくと背筋をのばして 咲いている
もう 春も近い と 思いたい

いさかか大振りな カラスウリの実が 朱赤を輝かせていた

住宅地ならではの マンホール
三里松原と響灘が描かれている


つい先ごろまで 畑だったところが 宅地造成工事中
生コンクリートを 局所的に流し込むのに 重機に吊り下げられた漏斗めいた器体が使われるのが興味深く しばらく眺めていた

一時間半ほどの 散歩だった
ほのかに春を感じていたところに 西高東低 強い寒気団が列島を覆う形となり ゾクッとする寒さのなか すこし歩いてみたくなった
鏝絵が よき時代の佇まいを今に伝える 吉木の道筋は 両脇に清らな流れを備え 引き締まった空気感を醸し出す
この鏝絵は なにを伝えようとしていたのだろうか

狭い範囲にも拘わらず 寺院も多く また各所に 西国八十八箇所…云々のお堂があり それぞれに 手入れが行き届いている

岡城址を 境内に持つ 隆守院 もそのひとつ
戦国の時代 大友勢との戦いに敗れ 自刃して果てた 岡城・最後の城主・麻生隆守を祀る
ノー天気な私は 自分の名前・隆を守ってくれると勝手に読んでは 手をあわせている

東側登り口脇に植えられた 梅の硬い蕾の先が ほんのり白くなっていた


石段を登ったところには 二つの巨石に 何やら戒名らしきものが刻まれてあり また 近くには 五輪塔や石仏が配されてあり


登り道斜面にも いくつもの石仏が並び


三の丸から 二の丸へとつながる所にも 石仏


さらに 二の丸跡の開けたところには 如来像を取り巻くように 石仏群が設置されてあることから


岡城址そのものが 戦で命を落とした人々を供養するための場 となっているように思われる

本丸跡への 階段

さほどの標高差は ないものの やはり本丸跡からは 吉木・一帯を見渡すことができる
向こうの山には わが家の近く 配水タンクがみえる


ちゃんと 三角点もある

さて ここから 南登り口方面に 下る


城のあったころ どのような道姿だったのか 想像もつかぬが この斜面はキツかっただろう

三の丸方面に続く道
そして
東側登り口・隆守院へと下る道

低い尾根筋を下っていくと 南西登り口


幹線道路が走る向こうには 門田溜池がある


先ごろから試している「なんば(難場)歩き」のせいか 結構の階段・急坂を歩いてきたのに まだ歩けそうなので 熊野神社の奥山に登り ぐるっと回り込んで 参詣してみよう


奥山への急坂入り口には 太いロープが張ってあり それに伝いながら登った

しばらく歩くと 本殿が見えてきた


摂社なのだろう


飛梅 と書かれてあるのは 太宰府天満宮所縁の 梅なのか?

手を合わせ
石段を下った

お母さんが 池に泳ぐ鯉を指しながら バギーの乳児に 何かを話しておられた
いいなあ

庚申信仰

庚申の夜 人々体内の三尸(さんし)の虫が抜け出し 天帝に それぞれの日頃の罪を告げに行き 天帝は 罪の軽重によって人を病気にしたり 早や死にさせたりする と言われ
長生きするには 徹夜して身を慎まねばならぬとされ
人々は講集団をつくり 庚申の夜に集まり ともに過ごした とのこと
「罪」など 犯す・犯したはずもない と 自信をもって言える人は いらっしゃるのだろうか?

吉木小学校校庭

汐入川沿いには 岡垣町自転車道があり 常々お世話になっている
しばらく歩き 新興住宅地 吉木東地区の高台を巡ってみた
岡城址がみえる

迂闊にも これまで 気付かなかったが こんな溜池があった

無住と思しきお宅の庭先に 菊が満開
余計に無常を感じてしまう

スイセンが スッくと背筋をのばして 咲いている
もう 春も近い と 思いたい

いさかか大振りな カラスウリの実が 朱赤を輝かせていた

住宅地ならではの マンホール
三里松原と響灘が描かれている


つい先ごろまで 畑だったところが 宅地造成工事中
生コンクリートを 局所的に流し込むのに 重機に吊り下げられた漏斗めいた器体が使われるのが興味深く しばらく眺めていた

一時間半ほどの 散歩だった
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